03 WE LOVE UDONうどんをもっと学ぶ旅へ

うどんと
おだしの歴史

うどんを旅 食べる・学ぶ・作る

うどんの歴史

うどんとパスタの起源は同じ!

うどんの起源は中国。
シルクロードを渡って西へ伝わりイタリアのパスタになりました。日本では、うどん、そばとして広がっていったそうです。
それぞれの土地の気候、風土によって少しずつ変化し、各地へ伝播されていったのです。
一口に「うどん」と言っても、庶民が日常的に食していたものもあり、お正月などハレの日のみに食されていたものもあります。稲庭うどんは、もっぱら献上品として食されていて、一般人の口には全くは入らなかったようです。

手伸べ麺、切り麺などの製法や、生麺、半生麺、乾麺など保存方法も様々です。うどんが根付いた地方でいずれも共通しているのが、良質な小麦が取れること、きれいな水があることです。たかがうどん、されどうどん。地域差はあれど、昔から日本人に愛されてきた食文化であることには変わりはありません。


香川のうどんは
空海が伝えた!?

香川県には、弘法大師空海が唐の国からうどん作りに適した小麦と製麺技術を伝えたという伝説があります。
一方で、麺の伝来は空海の帰朝100年前の遣隋使、遣唐使の時代という通説もあります。とにかく、うどんは、1000年以上に渡って讃岐人に愛されてきたようです。
これだけの長期間に渡って人々に継承され、今なお形骸化したものではなく、生活に密着した文化として継承されている伝統は稀有ではないでしょうか。


長いうどんは江戸時代から

讃岐うどんに関する最も古い資料は、金刀比羅宮の大祭の様子を描いた「金毘羅祭礼図」の中にあります。
今から300年ほど前の元禄時代(1688年〜1704年)に描かれた屏風絵です。
神事の様子だけではなく、参詣者や軒を連ねる商家の様子が微細に書き込まれています。その中に、3件のうどん屋も見えます。空海の時代の麺は、団子をつぶしたような形であったと推察され、江戸時代に今のような長いうどんになったと伝えられています。

日本各地のご当地うどんを調べてみると、面白いことに江戸時代に今の形になったうどんが非常に多いのです。
かつおだしを利用したお料理も江戸時代に大きく発展したとか。混沌とした戦国時代が終わり、平和な江戸時代の到来で、食を文化として楽しむ余裕ができたためでしょう。


昭和45年「大阪万博」を機に
”讃岐うどん”が有名に!?

“縁も奇なり“
グループ会社京樽と讃岐うどんとのご縁をご紹介します。

大阪万博で讃岐うどんを販売した経験をお持ちの「京樽すし三崎港」高橋保男さんにお話を伺いました。

入社2年目の当時、大阪万博に出店するということで、私は大阪万博でうどんの販売に携わりました。
大阪万博から「和食 寿司 懐石」を販売してほしいという要請があり、京樽では、会場内の中央広場と木曜広場と金曜広場で寿司とうどんを販売しました。
各国のパビリオン内にもレストランはありましたが、一般来場者が食事するレストランは京樽ともう一店舗のみでした。コンビニのような店もなく、小さな売店(キヨスク)があって、軽食等は売られていました。

中央広場店と木曜広場店はうどんの機械はなく、金曜広場店はうどんの自動茹で麺機を導入しました。うどんが流れて、自動で茹であがるという当時では最新の設備です。
讃岐うどんはゆで時間がかかりますので、スピーディに提供する為、袋麺(ゆで)一袋入りの麺をゆでて、温かいうどんを提供しました。

一杯100~150円のうどんが飛ぶように売れました。メニューはかけうどん、きつねうどん、月見うどん、天ぷらうどんの4種を販売しました。特に夏は開店から閉店まで一日中行列が続き、4店舗で一日うどん4000杯売れた日もありました。

万博には日本国中から来場します。日本人なので、ナイフやフォークで食べる食事よりも馴染みのあるうどんは人気があったのでしょう。
また、日本人は麺類好きな方も多く、全国各地からの団体のお客様が多くいらっしゃいますので、多くの方に「讃岐うどん」を認知していただけたのかなと思います。

看板で「讃岐うどん」と銘打っていたのか記憶が定かではありませんが、看板には大きく「うどん」と書かれていて、当時の新聞等でも取り上げられ、大阪万博開催を機にで讃岐うどんの認知は広がったのかもしれませんね。

大阪万博
会期1970年3月15日(日曜日)から9月13日(日曜日)までの開催まで約半年間(183日間)


さぬきうどんの歴史をもっと知りたい方!
はなまるうどんがサポートしているプロジェクトです!

さぬきうどん未来遺産プロジェクト

綿々と受け継がれた讃岐うどん

讃岐では、うどんは各家庭で作られ、日常的に食されてきました。また冠婚葬祭などにも食され、うどんは人々の生活に最も密着した食べ物でした。現在では、各家庭でうどんを打つことこそ少なくなりましたが、最も身近な食べ物として愛されていることには変わりはありません。香川県内に500店舗とも言われるうどん屋の中で、名店と言われ行列ができるお店の多くは、製麺所の軒先でうどんが食べられる形になっています。うどん玉を買うついでに食べさせてもらったものが徐々に広がっていきました。今でもその名残が色濃く残るお店は数多く存在します。いわゆる商業地とはかけ離れた民家の中、あるいは田んぼの中にそういったお店が存在するのです。

おだしのはなし

実は・・・おだしにも長い歴史があるんです!

だし文化の起源は奈良時代

だし文化の起源は奈良時代までさかのぼります。

「古事記」に『堅魚(鰹節の原型)』と表記され、煮汁を煮詰めた堅魚煎汁(かつおいろり)が、調味料として用いられていました。

明治以前の日本では、魚介類も海から離れた土地では入手が難しく、日常食として食べられていたのは野菜でした。元来エキス分が少なく「うまみ」が少ない野菜を美味しく食べるには動物性のエキスが豊富な「だし」が必要とされていました。

そんな「だし」は、江戸時代に大きな発展を遂げます。

1643年に料理書の『料理物語』では、「煮過ぎるとよくない」と記され、1745年の『伝演味玄集(でんえんみげんしゅう)』では、「鉄鍋を使用すること」、「かつお節は荒く削らないこと」、「水の中にかつお節をいれるのではなく、かつお節をいれてから水をいれること」、「浮いてきたかつお節は、悪い匂いの元となるので取り除くこと」などが事細かに記され指南しています。

このように、かつお節を使った料理は、戦乱がなくなり平和になった江戸時代に発展し、現在のかつおだし文化が花開いていったのです。


だし原料の種類

はなまるうどんは、讃岐うどんのメインである「いりこ(煮干し)」のだしを中心に、かけだし、つけだしそれぞれにあった配合をしていますが、そもそもだしの原料にはどんなものがあるのでしょうか?


鰹節

雑節・昆布


だしの地域特性

関東・関西でだしが違うのは有名ですが、その2つだけではありません。地域によって、だしの原材料が変化してるのです。

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